番頭の独り言…


 掲示板の純子さん、松田さん、明明さんらの書き込みに触発されて、考えをまとめぬままに書き綴ってしまいました。お時間に余裕のある方は、少しおつきあいいただけますか。



 新潟の拉致監禁事件ですか……。さすがにあれだけのまねをされてしまいますと、色々と考えさせられてしまいますな。“話し相手”ねぇ、一方的にしゃべりかけるだけで、彼は安らぎを得ることができたのだろうか。一方的なしゃべりとは、日記帳を毎日書き付けることと、どれほど違うのだろうか。自分自身に話しかけることで代用できないほどに、素晴らしいものなのだろうか。これについては、私が“五十嵐信吾”である限り、正答を見つけることはできそうにありません。また、見つけようとすべきではないのかもしれません。
 ……、なんか泥沼だな。文体も変えて、もう少しだけ前向きな方法に行こう。
 そう、あちき個人としては、ここ数年の(ゴシップ的なものも含めた広義の)事件報道に興味を惹かれているのですよ。もうちょっと具体的に言うと「精神科医や心理療法士、そんなセリフ吐いてもいいのか?」ということなん。そもそも、ほんの何年か前までは、「こころ」の問題って完全にブラックボックスの中だったじゃないですか。それまでの専門家って、事件やその容疑者について「本人と直接会って面接したうえでないと分析なんてできない」って言って、ほとんどコメントなんかしてなかったのに……。最近は、ちょっと珍しい(あ、なんか“珍しい”って言うとすごくイメージが悪いな……、まぁ容赦してください)事件が起きると、すぐにその手の人たちがでてきて、「彼(容疑者)は、幼少期における云々……」。お前ら専門家が、「こころ」をそんなにも簡単に扱っていいのか? 「こころ」ってそんなにも簡単なものなのか? な〜んて、思ったりしてしまうわけですよ。あちき自身が、ガキの頃からそのテの本だのを結構読み漁ったりしてたせいもあるんでしょうが、そういった状況ってすごく違和感を感じるんです。そして、「それを当たり前に見て、当たり前にそのことについて論じてしまう」視聴者が、一般化された存在であるという現実にも違和感を感じちゃうのよ。かつては、「こころ」のことを口にする人間なんて、完全にビョーキ扱いされてましたよ。それだって、間違った認識が招いた差別意識でしかなかったわけですけど、今の状況も異常でしょう! 誰も彼もが、「多重人格」だの「トラウマ」だのなんて言葉を口にして、なにか事件が起こるたびに「犯人はあんな奴だ、こんな奴だ」なんてプロファイリングのまねごとをする。そんで挙げ句の果てが、「本当の私はいったい誰なの」、「私は病気だから」って、なんかビョーキであることが当たり前になってません? なんか変でしょう?
 こんな独り言をほざいているあちき自身が、しょせんは“ビョーキ”ってことですかいね。まぁ、こんなビョーキを発症した原因は、どこにも存在しない「一般社会」だとかいうものが背負ってくれるんでしょう。(木亥火暴!!)